本 堂
臨済宗建長寺派 金徳山光明禅寺
本尊 延命地蔵願王菩薩
開山 夢窓国師 開基 足利尊氏
当山は鎌倉建長寺の末寺であり、江戸時代に於いては建長寺末の四大寺院として大きな勢力を誇っていた。
創建時期は定かではないが、建久年間(1190~1199)と伝えられる。
旧称を寳積寺と号し、場所も現在地の背後の小高い場所、桐ヶ谷に伽藍を構えていたというが、火災により焼失。現在の地、桜野に伽藍を復興し、光明寺と改称された。
江戸時代後期の文化年間、江戸幕府、徳川家斉の命によりロシアからのキリスト教の南下防止、蝦夷教化、法務遂行の為に蝦夷三官寺(有珠「伊達市」浄土宗善光寺、様似「様似郡」天台宗等澍院、厚岸「厚岸郡」臨済宗国泰寺)を建立したが、このうちの国泰寺の初代住職に光明寺十二世文翁智政和尚が任命された。文翁和尚の墓石は「太陽塔」と呼ばれ、光明寺歴代和尚墓所に佇んでいる。
現存する末寺は9ヶ寺。