*渚ようこ
突如現れた謎の歌手、田渕純。気づいたら、あちこち流してた。ステージ上で足元
もおぼつかない感じでふらついていて頼りないが、歌はとにかく素晴らしい。浮世ば
なれしていて、酒癖が悪く、新宿の路地裏では泥酔した彼の頭に雪がふりつもって
いたことがあったらしい。だけど、彼には歌があり、とにかく、彼のCDが世に出ること
になった。よかったね。おめでとう。 彼には、「夜をまきもどせ」の歌詞の中にある、
「愛と憎しみのブルース歌い」というフレーズがぴったりだと思う。虚構で彩られた世界
を彼は、薄気味悪いビブラートで歌う。あなたを殺して私も死ぬ。情念の果てに堕ち
ていく。しかし、女は(男かも)独り、監獄へ。愛と憎しみのブルース歌い‥この「憎し
みの」というところの冷淡さがいい。だからといって、彼がふだん、何かをひたすら憎
んでいるというわけでもないし、むしろ、誰をも心の底から憎んだりしたことも多分ない
だろう。彼の歌っているときのあの目を見れば、彼が何にも考えてはいないことがわ
かる。彼にとっては全部「からっぽの世界」なのだから。何を考えているのか、どこを
見つめているのか、刺し違えようが、監獄へ入ろうが、彼には関係ないのだ。ただ歌
うだけ。そして「まきもどせるならまきもどした〜い」と、かすかにシャウトしたかのよ
うな瞬間に、さまよえる歌謡曲の亡霊のような彼が、フランク永井でもなく、 水原弘
でもなく、「田渕純」という名前の歌手に変わることができるのかも知れない。
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