<田渕純ストーリー>
 
田渕純は小学校5年生のころ、偶然ラジオで聴いた「和田弘とマヒナスターズ」
にハマり、小学校の卒業文集に将来の夢として「マヒナスターズに入りたい」と書
いた。 和田弘とマヒナスタースは1953年に結成された「ムード歌謡」の創始者
であり、多くのメガヒットを持つ国民的グループで、50歳以上の日本人で知らな
い者はいないだろう。 世の中は既に90年代を迎えようとしていた。音楽ソフトが
レコードからCDになり、バンド・ブームの時代であった。
   
そして2002年。マヒナスターズのメンバーがカラオケ教室を開いているのを知り、
「ぜひメンバーに直接お逢いして話が訊きたい」とファン心理で入門。教室に通っ
て、2ヶ月が過ぎた頃、マヒナスターズのメイン・ボーカルである三原さと志(小山
田圭吾の父)が脱退してしまう。そして突然、田渕は和田弘に呼ばれ、三原の代
わりの新メンバーとしてボーカルに抜擢されることを告げられる。まさしく晴天の
へきれき。 「今まで熱心なファンだったのが、まさかマヒナのメンバーになって自
分が人前で歌うなんて」。前述の卒業文集の夢が現実になったのだ。「田渕純」は
その時、和田に付けてもらった芸名である。
   
マヒナスターズではNHKテレビに出演したり、ディナーショウなどのステージもこ
なし、2003年夏にはカルチャー雑誌「スイッチ」で、田渕単独で、横山剣や大西ユ
カリらとともにカラーグラビアを飾る。 しかし、2004年1月、リーダーの和田弘が
病気で亡くなり、オリジナル・マヒナスターズは長い活動に終止符を打つことにな
った(現在は辞めていった旧メンバーがマヒナスターズを名乗って活動中)。

   
和田の死により意気消沈し、アルコール漬けにもなった田渕だったが、同年秋、
「ムード歌謡を懐メロではなくスタンダードとして自分と同世代の若者にも伝えて行
きたい」と決意、精力的にライブハウスやクラブに出演をはじめる。近年は、橋幸
夫や八代亜紀などの大物歌手の前座を務める傍ら、ザ50回転ズ、ザ・サイクロン
ズといった若手バンドともセッションする機会にも恵まれ、それぞれのバンドから楽
曲まで贈られている。
   
2006年、ステージで歌っていたオリジナル曲「夜をまきもどせ」が未CD化にもか
かわらず話題になり、デモテープを収めたCDRがDJの手に渡りちょっとしたクラブ
ヒットとなった。 「夜をまきもどせ」は2008年初頭に公開予定の同名映画の主題
歌。映画は監督に岸野雄一、プロデューサーは「ヨコハマ・メリー」で知られる白
尾一博がてがけている。田渕自身もクラブ歌手の役で出演予定だ。デビューCDの
タイトルも『夜をまきもどせ』である。
   
そして、2007年6月3日には新宿 レッドクロスで初のリサイタル公演。歌った曲
は、ムード歌謡はもちろん、クレイジーケンバンド「ハワイの夜」からカルトGSザ・
プレイボーイの「シェビデビでいこう」まで。バッキングを務めるムード・アンサンブ
ル東京は渡辺勝(元はちみつぱい)らの豪華メンバーで、なんとチケットはソール
ドアウト、超満員の成功に終わる。
   
音楽性は王道を外すことなく、ジャンルや旧い価値観にとらわれることのない
自由な世界が田渕純の真骨頂だといえる。待望のデビュー・ミニ・アルバム『夜
をまきもどせ』はジャンルを越えた濃厚な田渕の世界そのものである。
   
 
サミー前田(プロデューサー)